もっとラクに生きよう。

「私の世界」創造の体験記

宗教に関して思うこと。

こんにちは!やなぎ まきです(*´꒳`*)

 

 

今回のお話は、私の体験談であって

特定の宗教に対する批判ではないことを

先にお話しておきますね。

 

 

要するに、私には合わなかったというお話なのです。

 

 

私は、宗教に関しても人それぞれで

その人に合うものであれば全然良いと思っています!

 

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私の家は、もともと仏教で

熱心な方は公布活動もしっかりされているような宗教でした。

 

 

月1回くらい?のペースで座談会というものがあり、

同じ宗教の人たちで集まって、それぞれのシェアや

仏教についての学びを深めたりする会がありました。

 

 

私も、子どもの頃から、当たり前の世界だったので

仏様の存在は信じていました(もちろん今も)

 

 

その当時は、地蔵盆であったり、神社参りとか

他の宗教に対しても良しとしない風習だったので、

私もそんな考えを持っていました。

 

 

毎日お仏壇に向かって

お題目(お経)をあげます。

 

ただ、子どもの頃から私は3日坊主だったので

長時間お仏壇に向かってお題目をあげるのが

苦手でした^^;

 

 

入信するときに、

「ここに入るとなんでも願いが叶うからね。」

と言われたことを覚えています。

 

 

私は子どもの頃からアトピーと喘息がひどかったので

お題目をあげ続けていれば治るのだろうに、

それができないからダメなんだ・・・・

そういって自分を無意識ながら責めていました。

 

 

思春期のころ、同じ宗教の私よりも年上のお姉さんが

頻繁におうちに誘ってくれました。

何をするかといえば、お題目あげたり仏教の学びを深めたりです。

 

 

思春期というのもあって、そのころの私は

かなり引っ込み思案でした。

なかなか馴染めずにいたのですが、ある時

みんなでイベントやるからぜひ来て!

と、お誘いを受けました。

 

 

この時から、断ることが苦手だった私は、

言われるがままに参加することに。

 

 

ただでさえ引っ込み思案なのに

ただ連れて来られただけで、なんとなく蚊帳の外。

「居心地悪い・・・。」と思っていた矢先に、

そこにいた子どもが私のそばを通ったときに

偶然にも、ひじ鉄くらいまして^^;

 

 

自分自身があまりにも惨めに思えて

その場から立ち去りました。

お姉さんに呼び止められたけど、私は泣いていたので。

そのまま家に帰らせてもらいました。

 

 

それ以降、そういった集まりに参加するのは

苦手になってしまって、参加しませんでした。

 

 

仏様の存在は信じているけれど、

宗教の人が苦手でした。

 

 

ただでさえ3日坊主なので^^:

バリバリ活動している人たちと比べたら

あまりにも熱の差があるのです。

 

 

今思えば、本気で取り組めないものは

「それじゃないよ。」ってことだったのかもしれません。

 

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そのことに薄々気づいていたのですが、

「やめたらバチが当たる。」

と、なぜか思っていました。

 

 

そんなとき、とある自己啓発セミナーに参加したとき

「宗教には他人の価値観が入っている。」

と、言われていたのが印象的で今でも覚えています。

 

 

さらに、自分自身が心のことを知るようになって

どんどん心が身軽になっていったとき、

「神との対話」という本に出会います。 

  

 

出会うもなにも、この本は30年以上も前から

母が買ってずっと我が家にあったのですが(笑)

ずっと私の目に入ることはなく、

きっとこの時がタイミングだったのだろうと

思います。

 

 

題名的に怪しい・・・と思う人がいるかもしれませんが

むしろ、宗教に関して批判的に書かれています。

 

 

でも、この本との出会いが一番!

私の心をラクにしてくれたのです。

 

 

ほんとうの神さまは、どんな人でさえ愛おしく想っている存在で、

たとえ道に外れてしまったようなことをしたとしても

罰することは絶対にないのです。

罰するというのは、人の心が創り出すもの

神から与えられる訳ではないのです。

 

小さな子どもが怒ったり泣いたりするのを

愛おしいと思う親のように、

神さまは私たちのことを同じように見ているのです。

 

 

そんな内容のことが書かれてありました。

 

 

それを知った時に、

「私が宗教やめても、バチなんて当たらないんだ!

むしろ応援してくれているんだな。」

 

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そう心から思うことができたので、

私はこの宗教はもうやらない。

私の家族にも引き継がせることはしない。

 

 

初めて、母にそう言えました。

母も、公布活動するほど熱心ではないので(笑)

全然良いよ!って感じでした。

 

 

 

昔のことを振り返れば、

「ここに入ればなんでも願いが叶うよ。」

と言われたことに違和感がありました。

 

それは、願いは自分で叶えるものだから。

自分の世界を創造しているのは”自分”です。

 

 

もちろん、宗教を100%信じることができて、

目の前のことを楽しんで取り組める人は

願いは叶えられると思います。

 

 

けれど、疑いの気持ちがあったり、

いわゆる仏様に依存状態では、きっと叶いません。

 

 

この世のしくみは、自分が

心から信じているものを叶える世界なので、

当然疑っているなら叶いませんし、

依存状態という事は、「私には叶える力がない」と

信じているわけですから、叶えられない世界が作られます。

 

 

 

結局は宗教に入っていようが、入っていまいが

「自分の在り方」次第なので、

私は無宗教の道を選びました。

 

 

昔は、将来の旦那さんは

同じ宗教に入ってもらわないといけないとか、

神社、みんなお参りしてるけど私はダメなんだとか、

そんな縛りを持っていたので苦しかったです。

 

何より、ちゃんと毎日お題目をあげられない

私はダメな人間なんだと思っていたことが

一番ツライことでした。

 

 

でも、本当は自由です。

結局のところ、縛っていたのは誰でもなく

私の心だったのです。

 

 

 きっと、毎日お題目あげていなくても

全然オッケー♪

って、思えていたのなら問題なかったのです。

 

自分責めのエネルギーは、自分も周りも奈落の底に突き落とすほど

底辺のエネルギーなので、ない方が幸せになれます!

 

 

今は、旦那さんと共に無宗教ですし、

前回の投稿でも書いたように、神社にもふつうに

お参りに行きます♡

www.makiworld.net

 

 

もちろん、心から信じられる宗教に入られてて、

自分がイキイキ楽しく過ごせるのなら

それは合っているという事なので、

全然オッケーだと思います。

 

 

もし、苦しいと感じている場合は、

私みたいにやめてしまっても大丈夫だよ〜

という事です(*´꒳`*)

 

 

 今日はそんなお話。

 

 

 もし、私と同じような方がおられたら

ラクになれたらいいな〜と思って体験談をお話しました。

 

 

本日も読んでいただいて

ありがとうございます(*´꒳`*)

 

 

 

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